かーずSP

飼い猫を失った話と、ペットロスに向き合う話

本日のブログ更新はお休みさせていただきます。
かーずSPを見てくださる方、いつもありがとうございます。
本日は更新ありません。明日からは通常更新に戻れるように、やれる範囲で努力します。

⚠この記事には、動物の死、ペットロスに関する描写がありますので、苦手な方はブラウザを閉じて下さい。

昨日、飼い猫の「るり」が亡くなりました。あまりに辛くて、苦しくて、初めての小さな家族を失って身が引き千切られる思いを繰り返してます。
ですが気持ちをアウトプットすることで、
・心を整理したい
・ネットの片隅に、るりが生きた証を残したい
・ペットロスで苦しんでいる方に「辛いのは自分だけじゃありません」とお伝えしたい
と思い、自分の今の心境をつづります。

ただしこの記事は、かーずSPの「明るくポジティブな話題を届ける」「ネガティブな要素は極力取り扱わない」というスタンスに反してます。読んでも楽しい気分にはなりませんので、ご注意下さい。

この記事は、今動物を飼っている方、ペットとお別れした経験がある方向けの内容となっております。
前半は黒猫「るり」の思い出
中盤「亡くなった時の様子からペット葬儀」
後半「飼い猫を失ってからの感情、折り合いの付け方」
という構成になってます。

■小さな黒猫との出会い

約15年前、大雨の駐車場の真ん中で、ひとりぼっちで泣いていたらしい彼女。後ろ足を怪我した黒い子猫(生後数ヶ月)を動物病院で治療して、彼女の引取先を探していた友人に出会いました。まずは一度会ってから、ということでその人の家に上がると、小さい黒猫が大人しそうにしていて、一目惚れ。

すぐにお迎えすることを決意して、我が家にお招きしました。飼育道具を買い揃えて、飼い方の説明を受けて、動物を飼うのが初めての自分はドタバタしながら、お迎え。
るり、と名付けたその子猫(黒猫=五更瑠璃から!)は、初日はずっと部屋の隅で縮こまっていて、黒いお目々を見開いていた。緊張しているんだな、ごめんね知らないところで……と思いながら夜寝ると、夜中にドタバタと音が。るりが一人で、反復横跳びをして、遊んでいるではありませんか。若いエネルギーにあふれていて、ようやく僕が寝たことに安心したのかな。

次の日からは、もう家に慣れていって、一週間経たずに、すっかり我が家は彼女が主として君臨して、僕は下僕のようにお世話をする日々でした。そうして生後(推定)11ヶ月目に不妊手術。一泊二日で怖い思いをさせちゃってごめんね。


無の表情で、撫でられを受け入れる黒猫です。

■るりとの思い出

その後は、ずっとずっと一緒でした。僕は仕事以外は家にいるインドア派なので、いつの間にか一番近い友人や伴侶として過ごしてました。当時の僕は座布団に正座してPCを操作していたので、僕が正座をすると、足の裏にちょこんと自分の体の一部を触れるのが、彼女のコミュニケーションでした。
るりを譲ってくれた方の手紙に「一日一回は抱っこしてあげて」と書いてあったのに、プライドが高いこのお姫様は、抱っこは絶対に許さないし、一緒に寝てくれないけど、体の一部を飼い主にくっつけてくつろぐのが彼女の距離感でした。

オモチャで好きなのが、カシャカシャぶんぶんという、音が鳴って虫的な獲物を捕まえる棒とヒモ。それと猫じゃらしは顎の力が強くて噛み切るくらいだった。あとなぜか、キラキラする銀のリボンをシャリシャリ噛むのが気持ちいいらしくて、亡くなる前日まで続けていた、一番の彼女の趣味?です。


見つかった画像で一番古いの。段ボールでテントを作ると、必ず潜るのが趣味だった

iPadやテレビに猫が飽きない映像(小さい物が動く系)を映すと、前足で捕まえてようとするのも好きなんだけど、すぐに飽きちゃっていたなあ。
部屋を暗くして、レーザーポイントを追いかけるやつは、捕まえられない事がストレスになると聞いて止めたけど、あれも好きでピョンピョン追いかけていた。

一度、僕は友達と夜中まで3DSのモンハンを遊んでて、朝方の5時ごろに車で送ってもらい、帰宅したらめちゃくちゃ怒ってて、淋しくさせちゃってごめんね。それ以来、旅行しても日帰りです。

コロナ禍で在宅時間が増えて、その後フリーランスになってからは、ずっとほぼ同じ空間で過ごしてきました。10歳を超えるころには大人しくなってきて、抱っこしても嫌がることは少なくなった。

僕がトイレに行くと、姿が見えなくなって心配して様子を見に来たり、お風呂に入ると擦りガラスの向こうに黒い影が見えてきて、飼い主を心配してくれてるんだなって嬉しくなった。
あと僕がずっとパソコンやってると、モニターの前に座り込んで圧をかけてきたり、寝っ転がってiPadを読んでると、何度も横切ってきて自分のアピールを欠かさないワガママな姫でした。

僕がパソコンを切る、テレビを付ける、ヨガマットでストレッチする、その3つで「飼い主の身体が空いた」とばかりに近くに寄ってきて、膝に乗ってくるのが可愛かった。
あとお尻をこっちに向けて、お尻ポンポンをせがむ姿が今でも思い浮かびます。ポンポンしてあげると、興奮して、段ボールでガリガリ爪とぎして、また戻って来る。僕の手を舐めてくれる。
無償の愛をくれました。るり、本当にありがとう。たまに噛み癖で攻撃してくるけど笑、それも愛嬌だったよ。

こんなときがずっと続けばいいと思っていました。


冬にストーブを出すと、定番ポジションを取る。いつもこのポーズで。

■るりが亡くなった日

人間の食べ物はやらず、カリカリとちゅ~るで栄養管理して、完全室内飼いならば、20歳くらいまで生きられる猫も多いと聞いて、油断していたんでしょうね。14歳8ヶ月(推定)くらいの昨日、夜中に「あおーあおー」って要求鳴きは、いつものことかと思ったんですが、今思えば、いつもより力強くて、いつもと違っていた。
そのまま嘔吐したりして、苦しんで朝方に息をしなくなりました。自分は、まだ生きてると思い、救急の動物病院をググって検索したりしましたが、もう息をしていないことに気づいて、呆然。

るりを保護して譲ってくれた人は、その後、動物病院の奥さんになっていました。彼女にLINEして、ご主人の獣医に症状を話しましたが、よくわからないとのこと。過去の事例で、健康診断で元気だった若い猫が突然血を吐いてそのまま亡くなったケースもあるとのこと。

僕は最初、解剖して原因を知りたいと思っていました。自分の何が原因だったのか、自分を責める材料が欲しかったんだと、一日経った今なら思えます。
最初の動物病院には電話して断られ、それでも丁寧なご対応でした。二つに電話した動物病院は「ナイナイナイ!」とぶっきらぼうに断られてショックを受けて(今後、もし動物病院に行くことがあっても、近所の人にオススメの動物病院を訊かれても、絶対にここには行かない/行くなと止めることが、事前に知ることができたという前向きに考えて、怒りを飲み込んでます)、もう身体を開くよりも、このまま安らかに弔ったほうがいいのではないか、と決断しました。

近所で評判の良いらしいペット葬儀の会社に連絡して、段取りを把握しました。移動火葬車だということも最初知らなくて、もっと日頃から、そういうのを調べて、るりとの決別の日が来ることを覚悟をしておくべきだったかもしれません。

火葬を申し込んでから、5時間くらいで来てくださるとのことで、ずっと撫でながら、泣き続けました。るりに感謝の手紙を書きながら、撫でて、泣いての繰り返し。
死後硬直で、横になったまま固まっていて、抱っこしてもそのまま。死後4時間くらい?で瞳がツヤを失っていって、ああ、これが生物が亡くなるということかと。もうあのキレイな目で僕を見てくれないんだなと、腑に落ちた瞬間でした。

ペット葬儀の方には丁寧に弔って頂いて、とても感謝しています。昨日までピンピン動いていたるりが骨だけになった時、先程の濁った目に続いて二度目の諦め=るりが亡くなった事実をようやく受け入れられたように思います。

ひとつひとつ遺骨の説明もしてもらって、骨と焼け方でわかったのは
・歯は健康で、12歳くらいであること。歯ブラシさせてくれなくて、すぐに逃げちゃうので、「飲む歯磨き」というのを飲み水に入れていたのがよかったのかな。
・骨粗鬆症で骨に空洞ができていた。でもこの大きさの空洞は、年齢相応とのこと。
・腎臓が悪かったらしく、下に敷いていた紙にお焦げがある=腎臓に脂分が含まれているから?とかなんとか。

焼け方でそこまでわかるのか!と驚いたとともに、もっと早く病院で定期検診させていればよかったという後悔の念が湧いてきました。長い治療で病院通いを強いるが、もっと長生きする/なるべく平穏に過ごさせるけども、寿命は短い。どっちがいいのかわかりません。でも症状がわかっていれば、選択肢はあったのかなと。

ペットロスでは、飼い主が「ああしていれば」と後悔を引きずるケースがあるとのこと。立ち直る考え方は、「選ばなかった方を後悔するのは、誰でもそうなる。でもその時の自分が、ベストを尽くしていたことに納得する。」だそうです。

そんな後悔で悶々としていたら、るりを保護して譲ってくれた人から「ほとんどの野良の子猫は、そのまま低体温症か車に轢かれて命を落としている中、こうして14年間かーずさんのあたたかい保護の中、飢えることも凍えることもなく、大切に育ててもらって愛情を独り占めできた事、本当に幸せだったと思います。」

とのメッセージが届いて、だんだんとそう思えてきています。自分が14年前に引き取り、昨日までお世話したことは、るりにとって幸せだったと思え始めています。やはりこうして、辛い気持ちを共感してもらえる方がいるというのは、すごく救われます。


僕の中で、るりと言えばコレ!という定番ポーズ。脚も可愛すぎるんだが! って、肉球をプニプニ触らせてくれた。

■るりを喪ってから一日経っての気持ち

遺骨を手にして部屋に戻ると、るりの家、段ボールのガリガリ、自動餌やり器が、主もいないまま、まだポツンと置いてある光景で、また泣きました。

この苦しみをどうにかしたくて、半日間ずっとペットロスの動画や本を読んで、「みんな、小さな家族を喪って、それでも生きていってるのだな」という、自分だけが苦しいんじゃない事実を知れて、気持ちが少し楽になりました。
「ペットを飼っている人は36%」という統計を見たことがあります。でも数字じゃピンときません。他の方のペットロス体験談を読みまくったことは、心の慰めになりました。

※自分も、そんな誰かの気持ちをわずかでも軽くできたらいいなと思ったこと、アウトプットするのもペットロスから立ち直るにはいいということで、こうしてブログにも書こうと思った次第です。

僕は40をすぎてからずっと、人と会う時は「これが最後になるかも」という一期一会で接してきました。朝に目が覚めると「今日も無事に起きられた」と、常に死を意識するようになっています。
それは松来未祐さん、松智洋さん、ヤマグチノボルさん、菅野ひろゆきさんら、僕の好きなクリエイターの早逝で、そう考えるようになりました。
そんな私なので、自分なりに死の覚悟はできていると思っていたんですが、ぜんぜん甘かったです。

今後のるりはだんだん病院通いで弱っていって亡くなっていく、その過程で気持ちの整理がつく……と勝手に想像していたんですが、突然やってきた死別というのもダメージを大きくしたのかもしれません。

世の中、みんなこんなに辛い経験をして生きていけているのが信じられない! お恥ずかしいことに、50を過ぎるまで、家族や最愛の人と死別するという経験をしたことがありませんでした。初めての苦しみは想像以上です、辛い!

ドラマとかでよくある、泣き崩れるシーン。マンガでも見慣れたシチュエーションで、感情移入して涙することもありましたが、そうした想像よりも、100万倍以上、キツい。自分の命をあげるから生き返って欲しいと何度思ったことか。

「心が張り裂けそう」というベタな慣用句が、「ああ、これのことか」と腹落ちした瞬間でもあります。今まで僕が葬式に出たのは知人友人という距離感だったので、ずっと一緒に過ごしてきた同居人(猫)との死別は初めて。

子供の頃からペットの死を経験した人は、もっと上手に立ち直れるのだろうか。若いうちに耐性をつけておく麻疹みたいなものなのか、よくわからない。「ペットを飼っている人は36%」ならば、約4割の人は、みんなこんな辛い経験をして生きていけているの!?
そういえばペット葬儀の人は、僕のマンションだけでも5回目だと言ってました。身近な家庭でも4回、この辛さを味わっているのか……。

こんな悲しいお別れは、これっきり一回で十分すぎるんですが。

一日たった今日、パソコンに保存したるりの画像や動画を見ては涙がこぼれるばかり。もうティッシュ1年分くらい使ったんじゃないかな。いっぱい泣いて、泣いて、泣き続けると片頭痛がするというのは初めての経験でした。るりを引き合わせてくれたその方は4回、猫ちゃんといろんなお別れをしたそうです。心がタフすぎる。

今でも、最後に苦しそうだったるりの顔が思い浮かんできます。でもそのうちに「楽しかった思い出のほうが強くなる」と、その方に慰められて、そうなるといいなぁ。


モニターの前に陣取って「早くパソコンやめて、私と遊べ」と睨みをきかせてます。

■動物を亡くして辛い思いをしている方へ

この記事は、ペットロスで辛い思いをしている方に「苦しいのは自分だけじゃないです」と伝えたくて書きました。
なぜなら、ペットロスを経験してない人に話しても、共感されるどころか、傷つけられることもあるからです。母に「るりが亡くなった」と話したら「えー、じゃあ二匹目どうするの?飼うの?」と言われて傷ついて、ショックを受けました。同じペットロス経験をした人にしか話せないテーマだな、と思いました。
「たかがペットを亡くしたくらいで」というのが世間一般的な認識なんでしょう。

ペットロスの本で「ペットの死が親の死よりも悲しいと思うのは、不謹慎なのか」という相談の答えが、印象深かった。
「親の死は、生物の順番なので、まだ心の整理がつく」「ペットは自分よりも遅く生まれて、早く亡くなる。年老いても可愛い見た目なので、我が子のような気持ち」「だから子どもが亡くなった時と同じ心のダメージになる」
子どもが死んだ人に「えー、じゃあ二人目作るの?」という言葉に置き換えてもらえると、その残酷さに気づけると思います。そんなこと、いちいち母親には言いませんでしたが。やっぱり同じ経験をした人にしか、理解できない事はある。

あとペットロス感情への向き合い方で、「後悔したことよりも、してあげられたことを数えなさい」という言葉が刺さりました。野良の子猫のまま凍え死んでいたよりも、ずっと長く、僕の家で心地よく過ごせた。その方がベターだった……今は、そう思いたい。

るりが亡くなって一日半。泣きながらこの文章を書いていて、まだ癒えそうにないなと感じます。
椅子を動かす前、戸を開け閉めする前に、るりを挟まないように姿を確認したり、僕が食事してたら視界の片隅から「にゃ~(何食べてるの?)」ってのしのし歩いてくる黒い姿を幻視したり。

お腹を触られるのが若い頃は嫌だったけど、8歳頃からは逆で、お腹を揉まれるとゴロゴロゴロ……と鳴いてくれた。ここ数年は、僕が横に寝っころがると、左脇の下にお尻を向けて座って落ち着くのが彼女の習慣でした。くすぐったいけど身体を動かせないもどかしさが、楽しい日々だった。
るり、今までいっぱい愛をくれてありがとう。一緒に過ごせて、僕は幸せでした。

という飼い猫を失った悲しい心境を、ネットの海に放流します。同じく飼っていた動物を亡くして悲しい想いをしている方に、ボトルメールとして届けばと思います。

長文お読みくださり、ありがとうございます。

令和7年9月15日。


享年14歳の「るり」、亡くなる二日前です。
iPhoneの壁紙にしたくて撮った写真。うーんやっぱり可愛い(飼い主バカ)

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